発見!ご当地「油」紀行
第22回 長崎県(長崎市)ハトシ
スナック感覚が現代でも人気。明治時代に生まれた長崎料理“ハトシ”
港と坂道とエキゾチシズム…長崎は今日に繋がる日本文化を生んだ原点となるような街です。江戸開府前の元亀2年(1571)ポルトガル船が入港して以降、長崎は急速に発展しました。時代が江戸に変わり鎖国政策がとられても、出島は日本における唯一の貿易港となりオランダ、中国の文物を受け入れました。こうした歴史は長崎に多くの影響を与え、異国情緒にあふれた独特の文化を育ませました。
食の世界も例外ではなく、和(和食)・華(中華)・蘭(洋食)が融合した個性的な料理が生み出されました。ちゃんぽん、皿うどん、カステラなど枚挙にいとまがありません。そしてこれらと並んで長崎の人になじみ深い食べものが“ハトシ”です。カタカナの名前からはどのような料理か想像もできませんが、さて、ハトシとは?
長崎伝承料理“ハトシ”の始まりは円卓でいただく卓袱(しっぽく)料理だった
江戸時代の元禄2年(1689)頃まで、唐人(唐の時代の中国人)たちは自由に長崎の市中に住み、自宅に長崎の人々を招いて食事を饗応したといいます。1つのテーブルを囲んで、大皿に盛った料理を各自が取り分けていただく唐人の食事法。それがやがて唐の料理を日本風にアレンジし、新鮮な魚介類と南蛮人が食べていた豚肉や牛肉も取り入れ、円卓でいただく長崎独自の料理に育っていきました。これが卓袱料理です。ちなみに“卓袱”の卓はテーブル、“袱”はテーブルクロスを意味します。
さて“ハトシ”は中国語表記で“蝦吐司”と書きます。蝦吐司の“蝦”はエビ、“吐司”はトーストのことで、ハトシとはエビのすり身を食パンなどで挟み、油で揚げた料理なのです。長崎市の「ながさきの食推進室」の資料によると、ハトシが中国から長崎に伝わったのは明治時代のこと。卓袱料理の一品として当初料亭で提供されていましたが、やがて一般家庭に広まっていきます。ハトシは市内の食品店やデパートで販売されている他、市内のイベントでは屋台に登場します。「長崎市民にとってはとても身近な食べものです。スナック感覚ですし、子どもたちも好きですよ」と、「ながさきの食推進室」の方。
現在、ハトシの中身はエビのすり身だけでなく、魚肉のすり身や挽肉などいろいろな素材が用いられます。形も伝統的に食パンで挟むもののほか、巻くスタイルもあり、店によって仕様が異なります。
なにも付けずに食べるので下味しっかり。蒸すのもコツ
長崎伝承料理ハトシとは実際にどのように作るのでしょうか。卓袱料理も手がける市内の和食処を訪ねました。
「私の店のハトシは魚のすり身とエビのすり身を合せて使います」と料理長。魚のすり身は上等な蒲鉾の材料として使われる白身魚のエソ。そこにエビのすり身を加え、すり鉢でよくすり混ぜます。塩・醤油・砂糖・酒のほか、玉素(たまもと)を加えます。玉素とは和風のマヨネーズのようなもので、卵黄にサラダ油を加えてホイッパーで撹拌したもの。魚介類に塗って焼きものにしたりする和食の基本素材です。「玉素を加えるのが日本料理の技かなぁ」と料理長。「ハトシは揚がったものをソースや醤油など付けずにそのままいただくんですね。ですから味付けはしっかりとしておきます。」
薄いサンドイッチ用の食パンの上にハトシのタネをのせ、パンを巻きます。「ここでもうひと仕事。タネに火を通すため蒸し器で10分ほど蒸すのです。」 タネが生のままで揚げると、中身に火が通るまでパンが油を吸いすぎるし、揚がり過ぎて真っ黒に焦げてしまうからとおっしゃいます。「予め中身に火が通っていれば、中が温まってパンがカリッと揚がればよい。この蒸す作業がハトシを上手に作るコツですね。」
揚げ油の温度は中温。2、3分揚げてパンがキツネ色に変われば出来上がりです。添えるのは粒マスタード。好みでつけていただきます。カリッと揚がったパンと弾力あるすり身、甘いエビの風味。
ハトシは絢爛たる卓袱料理のなかでも、一般家庭で愛され、進化する一品でした。
(12.4.17)
- 問合せは
- 長崎市経済局水産農林部ながさきの食推進室
電話 095-820-6568(直通)
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/shoku/ - 価格
- 1個300円前後~
- 長崎市へのACCESS
- 電車:JR長崎本線長崎駅下車
車:長崎自動車道長崎ICからながさき出島道路経由で長崎市街地まで約5km