発見!ご当地「油」紀行
第13回 奈良県(奈良市)ぶと饅頭
老舗菓子舗の作る“ぶと饅頭”は
千年以上の歴史をもつ神饌(しんせん)がはじまり
京都や大阪方面から近鉄奈良線に乗り奈良市に向かうと、近鉄奈良駅の手前で列車は広い空き地を駆け抜けます。この空き地がいまから1300年前、日本の国政をつかさどった奈良の都・平城京跡です。
西暦2010年は平城遷都1300年の節目の年。「はじまりの奈良、めぐる感動」をキーワードに、年末まで奈良市を中心に多彩なイベントが繰り広げられています。
この奈良に唐から伝わったという揚げ菓子が悠久の時を超えて今も伝えられています。
その名は“ぶと饅頭”。いったいどのようなお菓子なのでしょうか。
春日大社で神饌として
祭事に用いる揚げ菓子が“ぶと”
春日大社は御蓋山(みかさやま)の麓におよそ100ヘクタールもの広大な神域をもちます。長い長い表参道はうっそうとした木立に覆われた一筋の道。進むにつれて神域特有のすがすがしい静寂が感じられてきます。
春日大社は平城遷都の際に都の守護神として祀られるようになり、当時権勢を誇っていた藤原氏の氏神としても有名です。現在でも境内には朱塗りの本殿のほか61社もの摂社や末社が置かれています。
奈良時代の始まりとともに奈良の歴史を見守ってきた春日大社ですから、遣唐使とも無縁ではありませんでした。遣唐使が中国から持ち帰ったと伝えられるお菓子の一つが“ぶと”なのです。これが春日大社の神饌(日本の神社や神棚に供える供物の事)となり、千数百年を経た今でも祭祀に用いられています。
「平安時代の代表的な辞書『和名類聚抄』や鎌倉時代の『厨事類記』には多くの唐菓子(からがし=唐からもたらされた菓子)が記載されています。米や麦、豆などの穀物の粉を練って、成形し、ごま油で揚げたものが多いのです。ぶともその一つです」と春日大社の広報の方は説明されます。
唐から唐菓子が伝わるまで日本では菓子といえば果物のことでした。そこへ唐からまったく新しい形の食べものが伝わったのです。そのまま食べるか、干して食べるかしていた果物と異なり、穀物を粉にしていくつもの加工をほどこし、ようやく出来上がる唐菓子との出合いは大変なカルチャーショックであったに違いありません。 「日本に粉食をもたらした“ぶと”が、貴重で珍しい食べものとして神に捧げられたのは当然の流れだったのかもしれません」と春日大社広報の方。
春日大社では現在でも毎月1日・11日・21日の3回の旬祭とほかの神事のたびに“ぶと”を神饌として作っています。材料は米粉。水で練って蒸したものを成型してごま油で揚げます。成形で難しいのは上側のひだ模様。きれいに作るには相当の熟練が必要で、“ぶと”が上手に作れれば神職として一人前と認められるといわれます。
春日大社の許可を得て“ぶと”を今様に。
老舗菓子舗が作る奈良の銘菓
春日大社の神饌“ぶと”を、大社の許可を得て今様にアレンジして奈良の銘菓に育てたお店があります。創業は江戸時代末期、現在“もちいどのセンター街”入口すぐに店を構える老舗です。
戦後間もないころ、この老舗菓子舗の先々代が春日大社の許可を得て作り上げたお菓子が“ぶと饅頭”です。
米粉を水で練って蒸したものを成形してごま油で揚げた神饌“ぶと”をそのままお菓子にするのは難しいそうです。そこで「粉は小麦粉を主体にしました。中に国産小豆を炊いたこし餡を入れ、コーン油で揚げるのです。仕上げにグラニュー糖をまぶします」と老舗菓子舗の責任者。コーン油を用いるのは、ごま油と比べて軽く揚げたいからだそうです。
製造手順を記せば上記のように3~4行ですみますが、実際の製造は苦労も多く、「形は木枠でとっているのですが、皮が薄く割れやすいので注意が必要です。また、生地は天候に左右されやすいので湿度に気を配りながら生地作りを行います。」とのことです。 春日大社の神饌“ぶと”をアレンジし、60年以上も製造を続けてきた“ぶと饅頭”。年月を経て古都奈良の歴史を語り継ぐ銘菓として親しまれていくことでしょう。
この“ぶと”、昔ながらの米粉を使ったレシピをアレンジしてご紹介します。
ご家庭でご当地の味に挑戦してみてはいかがでしょう。
レシピはこちらです。⇒ ぶと風あげまんじゅう
(10.10.18)
- 問合せは
- 奈良市観光協会(奈良市中央公民館1階 奈良市観光センター内) 電話
0742-27-8866
https://narashikanko.or.jp/ - 奈良市へのACCESS
- 電車:京都駅からJRみやこ路快速で約40分、奈良駅下車。
または京都駅から近鉄特急で約35分、近鉄奈良駅下車。
大阪からは大阪駅からJR大和路快速で約45分、奈良駅下車
車:西名阪道天理ICから国道169号で約7.5km